こんなタイトルで書き出したらよっぽどテーマに困ってるなと察してください。 |
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以前私の父の旧制中学ラグビーのことを書きました。(コラム第8回) ちょっとスタイルの説明をしましょう。 ヘッドキャップ ジャージ →次は右上へ |
パンツ |
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この写真は着替えとは関係ありません。 |
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スパイク |
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練習開始した週末に試合に出ました。そうです。わがN高校ラグビー部は間違いなく人数不足でした。なんと併設の中学部の3年生も試合に出てました。中学にはラグビー部がなかったのですが、先生が体育の授業でめぼしいのを連れてきてやらせるのです。当時はまぁそんなもんでした。 初試合はどこか阪急沿線の高校へ行ったと思います。 おもいっくそ雨が降っていて、当時のボールは皮ですから、すぐに雨を吸って重さが2倍ぐらいの感じになります。しかも表面はつるっつるで下手くそな新人が持ったらノッコン間違いなしです。でもノッコンはしませんでした。なぜか?そう一回もボールに触らなかったからです。 ただただ、しんどい。 キックオフ後にFW同士の最初の接触が起こりますが、練習では見たことのない激しさです。これはケンカか?戦争か? スクラム練習の時には人数不足のチームとしては8対8のスクラムなんて組めません。FWはぎりぎりの8人しか居ないので、3対3、せいぜい3対5で組みます。それを一週間練習して試合でいきなり8人スクラムを経験すると、新人プロップには想像もつかない衝撃・圧力が足の先から脳天まで突き抜けます。 「うわっ、これ真剣にやらんと、ぐちゃっとつぶされるわ。」 しかもプロップには首の取り合いというスクラムで真剣にならざるを得ない勝負が待っています。これを語り出すと連載化しなければならないので、今は「しんどいんや」という部分だけ共感しといてください。 ただ、ただ、しんどい。 スクラムが終わって、頭を抜いて、後を見ると、そこでセンターがノッコンして、また次のスクラム。今度は向こうの攻撃で、FWが来て、ごちゃごちゃやってる内にまたスクラム。次はバックスに回ってグランドの端から端まで走って行ったけど、ぼくが着く頃にはまたスクラム。次は相手バックスが背後への長いパント。「コーナーフラッグめがけて走れ」と教えられた通り、走ったが、そこでまたスクラム。 →右へ |
どこも怪我してないことを確認して(すり傷で膝から血が流れている程度は怪我とは判定しない)、体育館の玄関かどこか貸してもらった場所に着替えに戻ります。先輩や同僚が声をかけてくれて「はぁ」「ええ」「まぁ」みたいな感想?しか言えず、チーム全員で阪急の駅まで坂道を降りて歩きました。すっかり雨が上がり、振り返れば六甲の山並みがきれいに見えます。なんか、表現できない喜びが少しずつ身体を充たすような気がしました。試合の結果は忘れましたが、チームメイトはみんな安堵感からか、ある者は饒舌に、ある者はあくまでも寡黙に、でも「にやっ」という顔はしています。以前卒業文集に「試合が終わったらチームメイトはみんな兄弟みたい」と書いてくれた子が居ましたが、そんな感じもあります。 みんな制服制帽だが、一人だけ違う色の帽子(中学部なので)をかぶったK君がにやにやしながら寄ってきて「せんぱい、ちょっとビールでも呑みに行こか」と言われた時には心底ぶったまげました。 そんな初試合も終わり、私はひたすら下手なりの練習に邁進していくことになります。高校ラグビー生活のスタートです。先生は滅多にグランドへ来ないので、もっぱら先輩・同僚にラグビーを教えてもらいます。でも教えてくれる方もそんなに分かっている訳ではないので、後はたまにあるTV観戦とかで少しずつルールも憶えていきました。でも結局、私が憶えたのは自分に関係する最小限のルールだけで、大学でも社会人でも続けますが、本当にルールを憶えたのは、C級レフリーを取ろうと思ってルールブックを勉強した30歳ちょっと前の時です。 こんなんで強くなれる訳がないですよね。でも当時は身体さえ鍛えればいいんだと思っていました。試合中も静かにもくもくとプレーしてました。「お前ら静やのう」と先生はおっしゃっていました。たまーに強豪校とぶつかると相手が試合中もさかんに声を出しているのを見てびっくりしたもんです。 こういう高校ラグビー生活の反動が出て、今は子供らにひたすら「しゃべれ」、ちゃんとルールを憶えろ、練習の意味を考えろ・・・なんてやってます。その方がラグビー生活がうんと楽しくなるだろうと思ってですが、子ども達に伝わっているでしょうか? ほんのラグビー生活の入口の思い出だけ書きました。またよほどネタに困った時、続きを書いてみたいと思います。 おしまい |